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2019.03.07
【卒業生訪問】好きな音楽に生きる ―ソニー・ミュージック パブリッシング 鷹羽晴子さん
昭和女子大学を卒業後、一歩踏み出して行動し続ける女性を紹介するシリーズ。
今回は、昭和女子大学附属昭和中高から昭和女子大学に進学し、現在は大好きな音楽の発展に貢献している鷹羽晴子さん(2000年卒)に話を聞きました。

昭和女子大学の海外キャンパス・昭和ボストン
おかげで、私は「腐らない」ことを学びました。下手すれば「授業がつまらない」と腐って過ごしたところでした。でも、自分の意見を伝えれば、ちゃんと聞いてくれて、リアクションしてくれて、物事が解決していく経験は、その後の仕事でも生きました。
自分の思いが通らなくて、「理解されない」と腐っていくミュージシャンも、会社員もたくさんいます。一生懸命書いた曲が全然売れなかったら腐るじゃないですか。でも、スタッフは腐っている場合じゃない。スタッフたちみんなで、だったら次はこうやってやろう、とアイデアを出して腐っているところから救い出すのが、仕事になりました。
(イメージ画像)
邦楽レーベルから声がかかって、大阪府堺市出身の女子高校生6人で結成されたオレスカバンドのマネージャーになりました。ツアーに同行し、Tシャツ作って、CD売っているうちに、全米一のパンクのフェスにでないか、という話がきて、このバンドをアメリカでデビューさせることになりました。バンドメンバーが若かったので、ツアーの「旅のしおり」を作ったり、進学相談にのって過去問渡したり。お母さんみたいでした(笑)。
「バンドのお母さん役でしたね。」
次に担当したベテランロックバンド、フラワーカンパニーズは業界の良心のようなスーパーいい人たち。40歳から60歳までバンドして過ごしたいから、それができるように底上げしてほしいって言われて、じゃあそれを目標にがんばりましょうって、20周年企画を考えたり、映画の主題歌の話をまとめたり。
せっかく著作権を担当しているのだから、日本音楽出版社協会の音楽著作権管理者養成講座で学んでいます。著作権って雲をつかむような話。作曲家、作詞家、アーティストたちも著作権についてよくわかっていません。海外では電子化しているのに、日本はいまだに情報を手で入力している過渡期で、大きく変わっていくだろうと思います。
音楽は作るときも、複数のタスクホルダーで、テトリスみたいに絡まりあって、変化していくもの。人には知られたくないことを歌って、それはすごい腹のくくりと、すごいものをみせてくれているのに、「ただでいいでしょ」っていう風潮は理解できません。
アーティストのために何かを提供したい、それが世界中に広まったらいいな、と思っています。それが今、新たなモチベーションになっています。

今回は、昭和女子大学附属昭和中高から昭和女子大学に進学し、現在は大好きな音楽の発展に貢献している鷹羽晴子さん(2000年卒)に話を聞きました。

洋楽で身に着けた英語力を弁論大会で磨く
音楽が大好きで、中学のころからずっと聞いていました。ビートルズ、マイケル・ジャクソン、ジェニファーロペス、オフスプリング–もうなんでも。それで英語耳がよくなって、中2のころ英語の先生に呼ばれて、覚えた単語を書き出すように言われてどこで知ったのかインタビューされました。音楽で聞いたり、映画で見たりというのばかり。
中2、中3の夏休みにはシアトルのブッシュスクールなどの3週間ぐらいの中高生向け語学プログラムに参加しました。中3で高円宮杯全日本中学校英語弁論大会、高2でチャーチル杯争奪全日本高等学校生英語弁論大会などに出場しました。弁論大会に出ると訓練してくれる先生がついて、「もっと勉強していい書き方探して」と鍛えられ、すごく勉強になりました。
他の科目がだめでも大目に見てもらえると気づいて(笑)、附属昭和高3年生の期間を、高校に籍を置きながら昭和女子大学で学ぶことができる五修生で大学の国際学部英語コミュニケーション学科 (旧人間文化学部英米文学科)で学びはじめ、その夏から、学外の交換留学制度でニューヨークに1年間留学しました。帰国してすぐ、学科で留学が必修となっていた昭和ボストンで半年間過ごしました。
中2、中3の夏休みにはシアトルのブッシュスクールなどの3週間ぐらいの中高生向け語学プログラムに参加しました。中3で高円宮杯全日本中学校英語弁論大会、高2でチャーチル杯争奪全日本高等学校生英語弁論大会などに出場しました。弁論大会に出ると訓練してくれる先生がついて、「もっと勉強していい書き方探して」と鍛えられ、すごく勉強になりました。
他の科目がだめでも大目に見てもらえると気づいて(笑)、附属昭和高3年生の期間を、高校に籍を置きながら昭和女子大学で学ぶことができる五修生で大学の国際学部英語コミュニケーション学科 (旧人間文化学部英米文学科)で学びはじめ、その夏から、学外の交換留学制度でニューヨークに1年間留学しました。帰国してすぐ、学科で留学が必修となっていた昭和ボストンで半年間過ごしました。

✎ 昭和ボストンについて
ボストンにある昭和女子大学の海外キャンパス「昭和ボストン」。英語学習や専門分野を短期間で集中的に学ぶプログラムや、15週間以上留学し、語学や社会、ビジネス、芸術、ボランティアなど専門科目を学ぶプログラム、地域貢献などに参加する長期プログラムなどがあります。外国語系の学科に限らず、全学科の学生が留学できます。 |
✎五修生について
五修生制度とは、附属昭和中・高6年間の教育課程を5年間で修了し、6年生の1年間は、本校に籍を置きながら昭和女子大学で学ぶ制度です。1年早く進学し、余裕を持って留学や専門分野の研究ができます。また、昭和女子大学と海外協定大学の学位を両方取得できるダブルディグリー・プログラムの参加もしやすくなります。 |
意見を伝えて「腐らない」生き方に
留学直後だったこともあって昭和ボストンの授業が物足りなくて、もっと手応えのあるカリキュラムを受けたいと、現地の先生に直談判しました。生意気ですよね~。ところが先生は「確かに」と納得してくれて、「日本人は黙っていてわからないから、何を学びたいのか言いなさい」と。新たに先生を雇って、新聞記事を読んでディスカッションしたり、エッセイを書いたりする上級者用カリキュラムを少人数の学生のために作ってくれました。自分で言い出して用意してもらった手前、絶対さぼれなくなっちゃった(笑)。おかげで、私は「腐らない」ことを学びました。下手すれば「授業がつまらない」と腐って過ごしたところでした。でも、自分の意見を伝えれば、ちゃんと聞いてくれて、リアクションしてくれて、物事が解決していく経験は、その後の仕事でも生きました。
自分の思いが通らなくて、「理解されない」と腐っていくミュージシャンも、会社員もたくさんいます。一生懸命書いた曲が全然売れなかったら腐るじゃないですか。でも、スタッフは腐っている場合じゃない。スタッフたちみんなで、だったら次はこうやってやろう、とアイデアを出して腐っているところから救い出すのが、仕事になりました。

洋楽宣伝から女子高校生バンドのお母さん役まで
音楽、それも洋楽の仕事がしたくて、ソニー・ミュージック・エンタテインメントに入社しました。洋楽宣伝担当になって企画が次々と成功しましたが、それが自分の力じゃなくて会社の力というのがよくわかっていなかった。営業に異動して、買ってもらうために物を置いて回る人の存在に気づきました。邦楽レーベルから声がかかって、大阪府堺市出身の女子高校生6人で結成されたオレスカバンドのマネージャーになりました。ツアーに同行し、Tシャツ作って、CD売っているうちに、全米一のパンクのフェスにでないか、という話がきて、このバンドをアメリカでデビューさせることになりました。バンドメンバーが若かったので、ツアーの「旅のしおり」を作ったり、進学相談にのって過去問渡したり。お母さんみたいでした(笑)。

次に担当したベテランロックバンド、フラワーカンパニーズは業界の良心のようなスーパーいい人たち。40歳から60歳までバンドして過ごしたいから、それができるように底上げしてほしいって言われて、じゃあそれを目標にがんばりましょうって、20周年企画を考えたり、映画の主題歌の話をまとめたり。
アーティストのために著作権を生かしたい
ずっとやっていたことはマーケティングでした。出版部門に異動して著作権管理に携わることになったとき、それを学問の目で見たことないな、と気付いて、MBAの勉強を始めました。仕事でやってきたことを公式にあてはめるように解説してくれるのが気持ちよくて、面白い。学問って、パターンに基づいて合理的に分析できるんですね。せっかく著作権を担当しているのだから、日本音楽出版社協会の音楽著作権管理者養成講座で学んでいます。著作権って雲をつかむような話。作曲家、作詞家、アーティストたちも著作権についてよくわかっていません。海外では電子化しているのに、日本はいまだに情報を手で入力している過渡期で、大きく変わっていくだろうと思います。
音楽は作るときも、複数のタスクホルダーで、テトリスみたいに絡まりあって、変化していくもの。人には知られたくないことを歌って、それはすごい腹のくくりと、すごいものをみせてくれているのに、「ただでいいでしょ」っていう風潮は理解できません。
アーティストのために何かを提供したい、それが世界中に広まったらいいな、と思っています。それが今、新たなモチベーションになっています。
