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2020.04.10

「AIを使いこなせる人材を育てたい」 小原奈津子・新学長に聞く

 昭和女子大学の学長が交代しました。新たに就任した小原奈津子第10代学長は、初の理系女性学長です。環境デザイン学部教授でもある小原先生を学内で探すなら「実験室に行くといい」と言われるくらい、研究が大好きな小原新学長に話を聞きました。

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いわゆる「リケジョ」のはしりです。どうして理系を志したのですか?

 もともと国語が得意で、本を読むのが好きな文学少女でした。大学受験を控えて伯父から「理系は大学でないと勉強する機会がないね」と助言されました。ちょうど、高校三年のころ、生化学の分野が発展し始めていました。生命活動が色々な化学反応で起き、化学的に解明できる。それを学んだら面白そうと他の人にもアドバイスをもらい、生化学分野に興味を持ちました。

和歌山県から茨城大学に進学したのは?

 東京の私立大学を受けた勢いで茨城も受けた、今でいう”不本意入学”です。入学式に一人で行って遠かったし、講堂にはおそらく校訓だったのでしょうか、「質実剛健」と掲げてあって、場違いなところに来てしまったとがっかりしていました。でも、結果的にはよかったです。受験に失敗して”天狗”の鼻がギャフンと折れて「二度と失敗はしない」と心に決めました。大学はアットホームで学生と先生の距離が近くて研究に没頭しやすかった。卒論は、ラセミ体のアミノ酸を光学分割できる錯体の合成が研究テーマでした。

それは、何ですか?

 両手を出してみて。右手と左手は対称的ですが、重なりませんね。同じように、アミノ酸や酵素にはL体とD体があって、両者は対称的な構造で性質は似ているのに異種のものです。似たような性質なのでL体だけ、D体だけ取り出す(光学分割)のは難しい。それを取り出す研究です。

さらに修士、博士課程に進みますが、当時、女性は少なかったのでは?

 修士は、生体に近いものを学びたくて、天然物有機化学、ステロイドの日本の草分けと言われているお茶の水女子大学の塩田三千夫先生の所へ進みました。
 実は他の研究所の採用試験にも受かり、その研究所を推薦してくださった(指導教官でもないのですが)先生から「君はそのまま博士まで行くかもしれないけれど、それだと女の子は考え方が偏っちゃう」と心配されて熱烈に研究所への就職を勧められました。1時間くらいお説教されて迷いました。でも、学卒女子は研究所ではアシスタントで終わっちゃうなという気がして。もう少し自分の可能性を確かめたい、とマスター(修士)に行き、その延長で博士課程に進みました。

博士課程は東京工業大学で、何を研究したのですか。

 東工大で糖タンパクを研究されている先生のもとに行きました。でも行ってみると、先生に「やってくれ」と言われたのは、タンパク繊維でした。
 タンパク繊維は、動物から作られる絹、羊毛のことで、髪の毛も羊毛と同じタンパク質です。それまで理学部で化学をやっていましたが、博士課程から工学研究科になりました。でも、ベーシックな学問は応用がきくから強いですね。化学の知識やテクニックが役に立ちました。入学前に期待したものとちょっと違うなあ、と思いましたが、実験や研究ができれば、まっ、いっかと思い直しました(笑)。
 タンパク繊維の性質を改良する、そのために、タンパク質を化学処理して、どう化学構造が変わったか、当時新しかったGCマスという機器分析で「どう変わったか」を明らかにする研究でした。
 「わかる」ためのモデル物質として、標本となるアミノ酸を合成しなければならなかったが、単離(純粋な化合物として得ること)がとても難しく苦労しました。わずかでも不純物が入っていたらできていることにならない。サンプルのアミノ酸を合成するまでに1年くらいかかりました。
 こうでもない、あーでもないと考えながら実験する、そのプロセスが面白い。思い通りにいかないのを積み重ねて、「もうこれしかない」って思ったときにうまく行く。失敗して、失敗して、失敗のうえにやっと成功する。できたときの喜びがあるんです。卒業した後、近所の米屋のおじさんに、「ずいぶん顔色が明るくなった」って言われました(笑)。

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博士号取得者の就職は今も問題ですが、当時、女性はさらに困難だったのでは。

 修了間際に、大手メーカーから新しくいらした先生が「うちの研究所が一人欲しいっていっている」というのでお願いしたら、翌日、「あれ駄目になった。女の子だってわかったら没になった」と言われました。明白な差別がまかり通っていた時代でした。
 他の大学で臨時助手や非常勤をしていましたが、東工大の元教授や恩師の紹介で昭和女子大学にきました。すると、恩師の妹さんが昭和女子大学出身とわかり、「これも運命だよ」と言われました。

1985年ですね。すでに35年が経ちました。

 当時は今と違って学生のルールも厳しかった。原色も、ジーパンも、袖なしも駄目。小原は一週間もつかな、と思われたみたいです。学科のコース内の化学系は大野泰雄先生と私だけ。大野先生はセルロースの日本三大バカと言われた、強烈な個性の有名な先生でした。先生と一緒に天然繊維の綿、麻の研究も手がけました。昭和女子大は発表が少ないと言われ、共同研究でどんどん発表しようとがんばっていました。

仕事を続けようと思うと、子育てはおろか、結婚も躊躇した時代です。

 恩師には結婚生活ってそんな甘くないよ、と言われました。子どもがいたら就職できないなと思って、就職してから34歳で出産しました。育休はなく産休だけの時代です。認可保育所も落ち、無認可にゼロ歳児から預けました。
 私が産休の間に、「子どもを産むなら非常勤になるべき」という考えの先生もいたくらい風当りが強い時代でした。ある先生が「子どもができても辞める理由はない」と反対してくれたと後で聞きました。宿泊を伴う学寮研修のときは、母が田舎(和歌山)から来て、それだけでは間に合わず、ご近所の方にお願いし、その方とは家族ぐるみのお付き合いで子どもの面倒を見ていただきました。
 産休明けたら、会社員の夫と3日ずつ交代で当番日を決めました。夫が「僕帰ります。家内が大学の先生しているので」と言うと、職場では「なんで!」って言われたそうです。夫は「当番日には定時以降に小原はいないということを社内に浸透させるために常に定時に帰ってくる」と、決めていたようです。

3日ずつの分担とは、時代の先取りですね。

 家に帰っても、結構しっかり仕事していました。家でも本を書いたり、勉強したり。子どもは8時に寝ていました。お母さんのパソコンは絶対に触っちゃダメ。お母さんの仕事は優先事項になっていて、「お母さん仕事だから」で納得していたようです。

その「仕事」について教えてください。

 いくつかありますが、大きなライフワークは、「繊維高分子の化学構造とその特性の関係」です。例えば、ケラチンというタンパク質に化学処理をして化学変化を起こさせる。高分子は集団になっています。化学変化によって、集合の仕方も違ってくる。化学構造が変ると分子同士が立体的に邪魔になったり、反発したり、大きくなったり、集合の形が変化することで副次的にいろいろな性質も変わっていきます。高吸水性、水をよく吸うとか、消臭機能を持つとか、吸湿性の高いものとか、化学反応を起こし、化学構造が違うと、物性も性質も変わります。それが実際予測したようなものになるのか、ならないのか、化学変化の効果がどう変わるのかを追求しています。
 次に、木綿や麻などセルロース繊維の光劣化の機構です。この研究は大野先生から引き継ぎました。セルロース繊維は、経年だけでなく光でも劣化します。どういうふうに分子が切れるのか、セルロース分子の集まり方がどう変わってくるのか、なぜ何がきっかけで劣化していくのかを追及します。
 もう一つ、出土繊維の鑑別があります。本学の研究支援機器センターの伊藤美香さんが中心になり、手伝っています。発掘で出土した繊維が綿か麻か他の繊維か、麻でも様々な種類があるので、苧麻なのか、大麻なのかなど種類を鑑別します。発掘されるまでの長い期間で炭化したり、ゆがんだり、ぺちゃんこになっていたり、新しい繊維とは形が変っていることが多いので似たような植物繊維の鑑別は難しいです。炭化したら縮むのか、どのくらい縮むのか。細い繊維はますます炭化して細くなっているのか、などを繊維の種類によって変化の仕方も変ってくるのかを調べています。

研究の面白さは、学生たちに伝わりますか。

 情熱をもっていれば、学生もひきつけられると感じています。興味をもってくれる学生にテーマを与えて一緒にやってきました。実験をやって面白いなって思ってくれたら、すごくうれしいです。この分野に興味をもつ学生は少人数ですが、います。
 文理融合と言われますが、ベーシックなものの考え方、理論や概念は憶えるのではなく理解してほしい。理科的なものにもっと親しんでほしいです。中でも、工学的なところは女子が少ないので、将来はどんどん進出してほしいと思います。

これから実験はどうしますか?

 学部で3コマくらい、実験と被服材料学を引き続き担当します。大学院は開講せず。卒論生はとらないけれど、実験はします。学長になっても実験は続けるつもりです。教員であるかぎり実験は進めます。何もやらないという選択肢はなし、です。

これから昭和女子大学でやりたいことは。

 ユニークさがなくなる、オリジナルじゃなくなるというデメリットはあるけれど、やはり大学間での連携も必要だと思います。同じ敷地内に昨年移転してきたテンプル大学ジャパンキャンパスとも連携を強化していきたいと思っています。距離も近く、日本語ができる先生もいるので積極的に協力しあいたいと思います。

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 また、データサイエンスはこれから取り組みます。AIとデータ・サイエンスの教育プログラムをできる限り早くスタートさせたいと思っています。また、これからは文理融合の時代だと思います。これまで家政系、文科系のカラーが強かった大学ですが、人文分野にも自然科学分野にも強い学生が育つ大学になってほしいと思います。

昭和女子大学は、今年100周年を迎えます。

 時代は変り、大学に求められる社会ニーズは変化しつつありますが、100年前、平和で文化的に豊かな世の中を女性の力で実現しよう、と目指した建学の精神の意義は今も変わりません。
 今はウイルスによって甚大な被害を受け、相変わらず平和を脅かされ続けている世の中ですが、社会は変わっていく。社会に対応できる、よりよい社会をつくっていける、思慮深く力強い学生を育てていかなければいけない。人から指示を受けて動くのではなく、AIを活用して主体的に問題を解決する人材を育成しなければなりません。AIに使われるのではなく、創造的な力を身に着けてほしいと思います。

「AIを使いこなせる人材を育てたい」小原奈津子・新学長に聞く04

小原奈津子学長 プロフィール
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